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8/16/2011

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facebookやtwitterなどで、

わりとブログの存在が放置ぎみです。

多摩川で遊んだり、公園へいったり。

そんな夏の日々で、さすがにいかんなぁと思いつつも、

価値観の変動に追いつかない感じでしょうか。

「自立」ということに対してしばしば考えており、

それは経済的にも精神的にもという意味なんですが、

なにかしらに依存するように設計されているいまの世の中、

もちろん活用できる所は活用して、

でも大事な部分というのは自分の考えから出ているものだなと感づいています。

一番興味をひくのは呼応する関係、

人といてだらだら話すこととかでもいいし、作品みたりしてむわっとしたりするでもいい。

あ、いかなきゃな。

知り合った人の展示やライブなど、そこには意図や私意性、自発性がみられてその活動自体に勇気づけられるし、もっと言えばそこにどうやったらお金や人の循環が生まれるか、というところに興味がシフトしています。

個人的な空間だけではなくて、社会というものに意識が向いているのは向かざるを得ないということでしょう。残念な世の中です。

そのためにも意思決定の早さを身につけたいです。

6/29/2011

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暑くなってきました。

絵を描くとなると、謎のおっさんとかしか出てきてくれません。

目玉とか。

なので青を。

もう少し経てば、青すぎる空だぜ。

6月最終週を楽しもうと思います。

特になにも変わりません。

いつもどおりです。

ケメックスコーヒーメーカーがずっと欲しくて、

しかし、買うタイミングがつかめなくていまに至ります。

6/25/2011

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高木さんの『Grace』ばかり聴いてます。このヴァージョン。

Graceの音の重層感と、急いだり、ゆるくなったりの揺らぎが好きです。

ボラが跳ねている、きらきらした川面を想像しています。

6/07/2011

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youtubeで観れるLa Blogothequeのtake a way showシリーズは、本当に出来が良いなぁ。
ドラムの入るとこ、たまらん。お酒がうまいのです。毎回ながらカメラワークが好きです。




6/06/2011

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足長おじさん。


道民から無意味に何度も肩パンされてムカついた夜でした。

3/15/2011

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本当に、現実なのかな?って思う状況になった。
空をみれば、不穏なガスに覆われ、街へ出てもそそくさと動く人。


それぞれが個人として何ができるかを考えて、行動している。
一日にして、世界が変わってしまった。


無力さを感じて、涙し、後悔し、バイトに行ったけど、もうなんだか悲しみが襲ってきて、働ける状態ではありませんでした。


埼玉の叔母の家に、たまたま栗駒の婆さんが病院関係で来ていた事を思い出したけれど、住所と電話番号もわからず、叔母の名前だけを頼りに家を探すつもりで、自分の彼女の実家も埼玉なので泊めさせてもらっていました。


そこで気づいてしまったのだけど、
既に決意しているか、いないかの差。わかってはいたのだけど、自分には、正直に言って耐えられませんでした。
非難ではなく、皆が元気ならそれでいいと思う。それが日常なんだと思う。
でもそこに自分が混ざれるかと言ったら、それはやっぱり、既にそこは居場所じゃないんだ。


夜、現地のケイタイ電波が回復し、家族とも、友人たちにも生存確認がとれた。叔母に連絡もつき、ひとまずは安心した。


もうここから先は覚悟は決めている。
skype、ツイッター、ミクシィが使えることはわかっているし、有事の時は連絡さえ取り合えれば、行動もできる。

高校の友人、大学の友人、桑沢の友人、設計事務所、21。
みんながなにか力になりたいって、言ってくれたり、もしくは、やるべき事を全うするって言って自分の仕事に行くのをみていて、本当に、心強いと思った。
こんなにいい人たちに恵まれていたんだなと思うと、涙がでちゃうけど、恵まれていた。

もう後悔はしたくない、
できることからやろう。

暗くなったら「あれ?暗くない?」とふって「明るいよ!」だよ。

3/06/2011

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そういえば、東京にも雪が降りました。
しんしんとした感じ、悪くない。
さすがに寒すぎたけど、冬は好きです。

認知学的なことが書かれている本をぺらぺら読みつつ、
黒川雅之氏のデザイン曼荼羅読んでます。
よく女のからだの話が出てくるので、毎回ぺろぺろと読み上げています。
とてもわかりやすいです。
特に、モノと環境の話の部分。
「環境」という対象化できない概念、でもそれを外からみると、環境もモノであるので操作可能になる。モノを操作することで環境が作られる。

木をみて森をみず、も、そういうことをいってるのかな。

「対象化」って言ってしまえば宇宙でも、細胞でも、なんでもできるから、ミクロ/マクロはもう個人の趣味なんでしょうけど。

たいていのものは選り好みされてしまうけど、
意識がないときはどうなんだろう。

無意識にも
好き嫌いがあるのか、ないのかが気になっています。

2/26/2011

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ふとした時、中毒でよくみます。

PHOENIXのCD音源よりも良いし、映像がたまらないんだよな。

3月も近くなり、暖かい日。

最近は何が起こるかわからない人生だけど、戦略も大事だなと思っていて、なにかしら行動する前にいくつか自分で決めたルールを実践してます。だいたいの行動要因は感覚的でしたが、大雑把すぎた。

例えば朝と夜に自由時間を決めて一日を二本の帯で挟むというもの。
デザインの勉強などを気楽にします。仕事との切り替えになるし、割といい感じにまわってます。

自分の技術レベルも把握でき、絶望のフチにたたされても、ポジティブに漲っている。この緊張感はなかなかない。

自分の考えの狭さとか、甘さとか、非難も受け入れて。ここは乗り越えたいーぞー

では。

2/13/2011

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チェルフィッチュ『ゾウガメのソニックライフ』みてきました。上の写真は今作ではないですが。いままで演劇をあまり観た事がなかったけれど、すごく面白かったです。
二年前くらい前に建築系イベントで、チェルフィッチュの岡田利規さんのトークは聞いたことはあって、

かなり精密に演劇の文脈など把握しながら制作をしていると記憶していたので、勝手な解釈でコンセプチュアルで難解なのかと思っていました。
手渡されたパンフも、わからなければそれでいいです的だったし。

しかし最初は断片的にしかわからないものの、鑑賞している経過のなかで主体や客体がくっついたり離れたりし、全体が統合されていく感じの思考を追っていくうちに、よくここまで日常を対象化できるものだなと、執念を感じました。いや、むしろ日常にこそヒントは隠されているのかな。

見終わったあとの帰りの電車が、サラリーマンとかよくわからないおっさんとかが乗っていらっしゃるのだけれど、話しながらのからだの角度、足の交差、高校生3人いて2人話してて1人モンハンしている関係性など、すべてがパフォーマンスにしか見えませんでした。

1/13/2011

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映画『ハーブ&ドロシー』を観てきました。

「アメリカの国立美術館“ナショナルギャラリー“に2000点あまりのアート作品を寄付して話題となったヴォーゲル夫妻の軌跡を追ったドキュメンタリー。」

お金よりも大切なものを、深く追求した生き方が示されていました。

コレクターは一見、アーティストになるよりも簡単な事だと思いがちですが、情熱と欲を保ち続けるのは相当困難で、普通の人ならできない事です。ましてや低所得であれば、生活面を充実させていくのが一般的だと思います。しかし、生活そっちのけでガンガン蒐集していく夫婦。

ネットの氾濫からか、リアルなモノに対する欲自体が減退していく状況のなかで、ある種のカウンターをもらった気がしました。彼らの行動は社会がどうなろうと関係はなく、続く。その行動の基準が「お金ではない」という部分。そこにエネルギーを感じます。

不況だとか、就職難だとか、あとは愚痴みたいなものを吐き出されて、個人的にはそういうのを聞いているのが嫌なので、その嫌な感情をどうすればよいか小さな悩みがありましたが、自分の価値感や絶対に譲れないことを定める事が優先されるべきことだろうと思います。

本当に好きな事だけを追求するという事を考えさせてくれました。

追記。みうらじゅんの「いやげもの」や、やついいちろうの「どりゃ読み」など、頭をかすめました。誰も価値を見出していないものに手を出す行為はいつか賞賛されると信じて、ガンガンやっていきたいです。その方が面白いから。