二年前くらい前に建築系イベントで、チェルフィッチュの岡田利規さんのトークは聞いたことはあって、
かなり精密に演劇の文脈など把握しながら制作をしていると記憶していたので、勝手な解釈でコンセプチュアルで難解なのかと思っていました。
手渡されたパンフも、わからなければそれでいいです的だったし。
しかし最初は断片的にしかわからないものの、鑑賞している経過のなかで主体や客体がくっついたり離れたりし、全体が統合されていく感じの思考を追っていくうちに、よくここまで日常を対象化できるものだなと、執念を感じました。いや、むしろ日常にこそヒントは隠されているのかな。
見終わったあとの帰りの電車が、サラリーマンとかよくわからないおっさんとかが乗っていらっしゃるのだけれど、話しながらのからだの角度、足の交差、高校生3人いて2人話してて1人モンハンしている関係性など、すべてがパフォーマンスにしか見えませんでした。
かなり精密に演劇の文脈など把握しながら制作をしていると記憶していたので、勝手な解釈でコンセプチュアルで難解なのかと思っていました。
手渡されたパンフも、わからなければそれでいいです的だったし。
しかし最初は断片的にしかわからないものの、鑑賞している経過のなかで主体や客体がくっついたり離れたりし、全体が統合されていく感じの思考を追っていくうちに、よくここまで日常を対象化できるものだなと、執念を感じました。いや、むしろ日常にこそヒントは隠されているのかな。
見終わったあとの帰りの電車が、サラリーマンとかよくわからないおっさんとかが乗っていらっしゃるのだけれど、話しながらのからだの角度、足の交差、高校生3人いて2人話してて1人モンハンしている関係性など、すべてがパフォーマンスにしか見えませんでした。
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