3/15/2011

0315

本当に、現実なのかな?って思う状況になった。
空をみれば、不穏なガスに覆われ、街へ出てもそそくさと動く人。


それぞれが個人として何ができるかを考えて、行動している。
一日にして、世界が変わってしまった。


無力さを感じて、涙し、後悔し、バイトに行ったけど、もうなんだか悲しみが襲ってきて、働ける状態ではありませんでした。


埼玉の叔母の家に、たまたま栗駒の婆さんが病院関係で来ていた事を思い出したけれど、住所と電話番号もわからず、叔母の名前だけを頼りに家を探すつもりで、自分の彼女の実家も埼玉なので泊めさせてもらっていました。


そこで気づいてしまったのだけど、
既に決意しているか、いないかの差。わかってはいたのだけど、自分には、正直に言って耐えられませんでした。
非難ではなく、皆が元気ならそれでいいと思う。それが日常なんだと思う。
でもそこに自分が混ざれるかと言ったら、それはやっぱり、既にそこは居場所じゃないんだ。


夜、現地のケイタイ電波が回復し、家族とも、友人たちにも生存確認がとれた。叔母に連絡もつき、ひとまずは安心した。


もうここから先は覚悟は決めている。
skype、ツイッター、ミクシィが使えることはわかっているし、有事の時は連絡さえ取り合えれば、行動もできる。

高校の友人、大学の友人、桑沢の友人、設計事務所、21。
みんながなにか力になりたいって、言ってくれたり、もしくは、やるべき事を全うするって言って自分の仕事に行くのをみていて、本当に、心強いと思った。
こんなにいい人たちに恵まれていたんだなと思うと、涙がでちゃうけど、恵まれていた。

もう後悔はしたくない、
できることからやろう。

暗くなったら「あれ?暗くない?」とふって「明るいよ!」だよ。

3/06/2011

0306


そういえば、東京にも雪が降りました。
しんしんとした感じ、悪くない。
さすがに寒すぎたけど、冬は好きです。

認知学的なことが書かれている本をぺらぺら読みつつ、
黒川雅之氏のデザイン曼荼羅読んでます。
よく女のからだの話が出てくるので、毎回ぺろぺろと読み上げています。
とてもわかりやすいです。
特に、モノと環境の話の部分。
「環境」という対象化できない概念、でもそれを外からみると、環境もモノであるので操作可能になる。モノを操作することで環境が作られる。

木をみて森をみず、も、そういうことをいってるのかな。

「対象化」って言ってしまえば宇宙でも、細胞でも、なんでもできるから、ミクロ/マクロはもう個人の趣味なんでしょうけど。

たいていのものは選り好みされてしまうけど、
意識がないときはどうなんだろう。

無意識にも
好き嫌いがあるのか、ないのかが気になっています。