12/30/2011

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今年はずっと3月の延長という感じでした。


当初は地元と連絡がつかなかったり、仕事ができる状態でもなく、ただ不安だけがあり、いままで生きてきた中でも相当なストレスだったのかもしれません。なかなかふっきれることはできず、他の人たちがわーわーと仕事し始めたり、普通の生活を取り戻していくのを横目にふらふらとしていました。


よくわからない感じ、足のつかない海みたいな感じで進んでいって。
夏は展覧会の仕事に関わりつつ、秋も短期派遣でイベント設計とかそんなことを並行しながらやりつつ、だんだんと普通に戻ってはいますが、何か東北復興とかそんなものを頭の中でぐるぐるしていたり、デザインで何かできたらいいなと思いながら今に至りなんとかやってます。


3月11日の地震はちゃんと忘れないように記しておくべきだし、残していきたいと思います。


12月に入ってユーロスペースで公開された「トーキョードリフター」。震災後、節電で暗くなった渋谷で撮られたという映画を観に行ったんだけど、雨の中歌う前野健太をみて心のもやもやが少し晴れたというのが確かにわかって、やっぱり人の作ったものは観るべきだし、自分自身も作っていきたいなと思った年末です。



11/19/2011

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フライヤーつくりました。


12月17日福岡市中央区警固で行われる「ゲリラガーデニング」のイベントです。
友人が主催するので、お近くの方は当日足を運んでみてください。


植物との触れあいを通じて公共でのコミュニケーションを活発化させる、という手法はなかなかおもしろいです。






imagination's vol.2 @ BARIQUAN


2011/12/17 (土) 15 : 00 ~ START


チケット ¥500 (1drink 付)


11/16/2011

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友人に会う度、人っていっぱいいるなと思う。数というよりも質の違いとして。


たぶん、こっちの世界でいいでしょう。
と思い始める。


twitterの石井ゆかり占いをみて、占いよりも、その言葉の扱いに感心する。
悪いとされることも言葉次第では、良くなる。


嫌いな人間っているけど、なんか上っ面な言葉だけが嫌いなだけかもしれない。
芯をもって口に出してくれていればなぁと思うことがある。


新しい音楽とか、モノを集めることをしなくなってからは
他人との興味の接点がなくなっていって、いい意味でほっとかれている感じでいい。


1111で震災から8ヶ月経過したけど、身体的には揺れの恐怖や情報のなさの体験を忘れつつあると感じました。


↓sioneよいですね。



11/07/2011

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すこしばかりの懐古。


学生の頃はよく夜行バスに乗って地方へ出かけてました。


夜行バスのカーテンからもれてくる人口光のちらつきが、とてもきれいで眠れなくなる事はよくありました。


夜中の風景の美しさに気付いている人はどのくらいいるんだろうな。


と、隣の席の出張であろうオッサンがいびきをかいて眠っている空間で思ったりしました。



11/05/2011

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Macbookのメモリを増設したら早くなって、普通に感動をした。




いままでないがしろにしてきて勿体なかったな、と思いました。

10/14/2011

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家の前で相似形をみつけた。


実はこの中に妖精がおります。


と、


見えないけれど唱えてみると見えてくるものがあったり。


アリエッティ的ななにか。。。


アリエッティみてないですが。


現実はマイマイが死んでたり、ナメクジが蒸発していたりするんでしょう。


ナメック色だ。


「デンデ」と「ネイル」の名前の由来を考えたこともなかったですが、


でんでんむしとsnailだと知り、感動しました。(なんとなく知ってたけど)

10/13/2011

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自分の写真は、記録として残している。
そんな無機的な目的であっても自分にとって、いい写真もある。

2年前の朝焼け。

言葉にならないけれど、別れや、さよならや、そういったものだ。

これをみて、初心に戻る。

いまに戻る。

遠くの光によってのみ、ここを知ることができると、そう感じたのでした。

10/12/2011

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横浜美術館へ行ってきました。


3年に一度のトリエンナーレ。


今年はまったく話題にあがりません。
実際、特にこれといった感想も出てきません。
ちなみに横浜美術館の空間が好きではないですが、ゴジラVSモスラでぶっ壊されるシーンはすきっす。

田中功起さんの作品が個人的にはよかったですが、全体的な印象として美術館に美術品を詰め込んだだけな展覧会のように思いました。


もともと横浜市民がものすごく関わって出来ていた展覧会だっただけに残念です。


自分もヨコトリは思い入れがあって影響を受けたのですが、どうなるんでしょう。



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最近のこと。


8月からの時間の流れの早さにビビりつつも、目標定めて動いています。
流れ星さまに「お仕事頂けますように!」パンパンってな感じです。パンパン!神社にもパン。おーけー!これでおーけー!


正常に戻りつつある日常に、どこか嘘なんじゃないかっていう疑念を持ちながら過ごしています。近所の川崎の落ち葉から数万ベクレル検出されたそうだ。(あんまり報道しないし、正誤判断わからないです。)


最近は情報が多すぎてしまっていて、意識的に遮断することが多くなってきた。


facebookなど登録していることでどんないいことがあるかと言えば、検索をかければその人の情報が出てくることでなんらかの安心感を得ることでしょう。なんか妙ですが。


しかし震災後、安否確認という点で個人情報については小出しにするべきだと思うようになったし、ポジティブな部分として捉えています。


普段からそんなに映画は観ていないですが、「たまたま」は劇場で観たいです。
しおね、いいです。



8/16/2011

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facebookやtwitterなどで、

わりとブログの存在が放置ぎみです。

多摩川で遊んだり、公園へいったり。

そんな夏の日々で、さすがにいかんなぁと思いつつも、

価値観の変動に追いつかない感じでしょうか。

「自立」ということに対してしばしば考えており、

それは経済的にも精神的にもという意味なんですが、

なにかしらに依存するように設計されているいまの世の中、

もちろん活用できる所は活用して、

でも大事な部分というのは自分の考えから出ているものだなと感づいています。

一番興味をひくのは呼応する関係、

人といてだらだら話すこととかでもいいし、作品みたりしてむわっとしたりするでもいい。

あ、いかなきゃな。

知り合った人の展示やライブなど、そこには意図や私意性、自発性がみられてその活動自体に勇気づけられるし、もっと言えばそこにどうやったらお金や人の循環が生まれるか、というところに興味がシフトしています。

個人的な空間だけではなくて、社会というものに意識が向いているのは向かざるを得ないということでしょう。残念な世の中です。

そのためにも意思決定の早さを身につけたいです。

7/29/2011

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たまらんPV。
アイ・アム・ア・ヒーローにでてくる母をバッドで殴り殺すヤツみるたびに、
モタコ思い出す。非常にいい意味で。


7/21/2011

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「エレ片」より。

仕事場でありそうな話。

仕事だといろんな人間がいるなと思う。

くだらなくてすみません。

最近は太宰botに夢中です。



6/29/2011

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暑くなってきました。

絵を描くとなると、謎のおっさんとかしか出てきてくれません。

目玉とか。

なので青を。

もう少し経てば、青すぎる空だぜ。

6月最終週を楽しもうと思います。

特になにも変わりません。

いつもどおりです。

ケメックスコーヒーメーカーがずっと欲しくて、

しかし、買うタイミングがつかめなくていまに至ります。

6/25/2011

0625




高木さんの『Grace』ばかり聴いてます。このヴァージョン。

Graceの音の重層感と、急いだり、ゆるくなったりの揺らぎが好きです。

ボラが跳ねている、きらきらした川面を想像しています。

6/18/2011

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環境とは私以外のすべて

宇宙とは私を含むすべて

環境と宇宙

そのたったひとつの違いは、私




宇宙飛行士ラッセル・シュワイカートにバックミンスター・フラーが贈った詩。

6/15/2011

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Vampire Weekend/Kids Don't Stand A Chance
この曲を聴いてから好きになったVW。
ライブ観たいなー

6/07/2011

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youtubeで観れるLa Blogothequeのtake a way showシリーズは、本当に出来が良いなぁ。
ドラムの入るとこ、たまらん。お酒がうまいのです。毎回ながらカメラワークが好きです。




6/06/2011

0606



足長おじさん。


道民から無意味に何度も肩パンされてムカついた夜でした。

3/15/2011

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本当に、現実なのかな?って思う状況になった。
空をみれば、不穏なガスに覆われ、街へ出てもそそくさと動く人。


それぞれが個人として何ができるかを考えて、行動している。
一日にして、世界が変わってしまった。


無力さを感じて、涙し、後悔し、バイトに行ったけど、もうなんだか悲しみが襲ってきて、働ける状態ではありませんでした。


埼玉の叔母の家に、たまたま栗駒の婆さんが病院関係で来ていた事を思い出したけれど、住所と電話番号もわからず、叔母の名前だけを頼りに家を探すつもりで、自分の彼女の実家も埼玉なので泊めさせてもらっていました。


そこで気づいてしまったのだけど、
既に決意しているか、いないかの差。わかってはいたのだけど、自分には、正直に言って耐えられませんでした。
非難ではなく、皆が元気ならそれでいいと思う。それが日常なんだと思う。
でもそこに自分が混ざれるかと言ったら、それはやっぱり、既にそこは居場所じゃないんだ。


夜、現地のケイタイ電波が回復し、家族とも、友人たちにも生存確認がとれた。叔母に連絡もつき、ひとまずは安心した。


もうここから先は覚悟は決めている。
skype、ツイッター、ミクシィが使えることはわかっているし、有事の時は連絡さえ取り合えれば、行動もできる。

高校の友人、大学の友人、桑沢の友人、設計事務所、21。
みんながなにか力になりたいって、言ってくれたり、もしくは、やるべき事を全うするって言って自分の仕事に行くのをみていて、本当に、心強いと思った。
こんなにいい人たちに恵まれていたんだなと思うと、涙がでちゃうけど、恵まれていた。

もう後悔はしたくない、
できることからやろう。

暗くなったら「あれ?暗くない?」とふって「明るいよ!」だよ。

3/06/2011

0306


そういえば、東京にも雪が降りました。
しんしんとした感じ、悪くない。
さすがに寒すぎたけど、冬は好きです。

認知学的なことが書かれている本をぺらぺら読みつつ、
黒川雅之氏のデザイン曼荼羅読んでます。
よく女のからだの話が出てくるので、毎回ぺろぺろと読み上げています。
とてもわかりやすいです。
特に、モノと環境の話の部分。
「環境」という対象化できない概念、でもそれを外からみると、環境もモノであるので操作可能になる。モノを操作することで環境が作られる。

木をみて森をみず、も、そういうことをいってるのかな。

「対象化」って言ってしまえば宇宙でも、細胞でも、なんでもできるから、ミクロ/マクロはもう個人の趣味なんでしょうけど。

たいていのものは選り好みされてしまうけど、
意識がないときはどうなんだろう。

無意識にも
好き嫌いがあるのか、ないのかが気になっています。

2/26/2011

0226


ふとした時、中毒でよくみます。

PHOENIXのCD音源よりも良いし、映像がたまらないんだよな。

3月も近くなり、暖かい日。

最近は何が起こるかわからない人生だけど、戦略も大事だなと思っていて、なにかしら行動する前にいくつか自分で決めたルールを実践してます。だいたいの行動要因は感覚的でしたが、大雑把すぎた。

例えば朝と夜に自由時間を決めて一日を二本の帯で挟むというもの。
デザインの勉強などを気楽にします。仕事との切り替えになるし、割といい感じにまわってます。

自分の技術レベルも把握でき、絶望のフチにたたされても、ポジティブに漲っている。この緊張感はなかなかない。

自分の考えの狭さとか、甘さとか、非難も受け入れて。ここは乗り越えたいーぞー

では。

2/13/2011

0213



チェルフィッチュ『ゾウガメのソニックライフ』みてきました。上の写真は今作ではないですが。いままで演劇をあまり観た事がなかったけれど、すごく面白かったです。
二年前くらい前に建築系イベントで、チェルフィッチュの岡田利規さんのトークは聞いたことはあって、

かなり精密に演劇の文脈など把握しながら制作をしていると記憶していたので、勝手な解釈でコンセプチュアルで難解なのかと思っていました。
手渡されたパンフも、わからなければそれでいいです的だったし。

しかし最初は断片的にしかわからないものの、鑑賞している経過のなかで主体や客体がくっついたり離れたりし、全体が統合されていく感じの思考を追っていくうちに、よくここまで日常を対象化できるものだなと、執念を感じました。いや、むしろ日常にこそヒントは隠されているのかな。

見終わったあとの帰りの電車が、サラリーマンとかよくわからないおっさんとかが乗っていらっしゃるのだけれど、話しながらのからだの角度、足の交差、高校生3人いて2人話してて1人モンハンしている関係性など、すべてがパフォーマンスにしか見えませんでした。

1/13/2011

0112



映画『ハーブ&ドロシー』を観てきました。

「アメリカの国立美術館“ナショナルギャラリー“に2000点あまりのアート作品を寄付して話題となったヴォーゲル夫妻の軌跡を追ったドキュメンタリー。」

お金よりも大切なものを、深く追求した生き方が示されていました。

コレクターは一見、アーティストになるよりも簡単な事だと思いがちですが、情熱と欲を保ち続けるのは相当困難で、普通の人ならできない事です。ましてや低所得であれば、生活面を充実させていくのが一般的だと思います。しかし、生活そっちのけでガンガン蒐集していく夫婦。

ネットの氾濫からか、リアルなモノに対する欲自体が減退していく状況のなかで、ある種のカウンターをもらった気がしました。彼らの行動は社会がどうなろうと関係はなく、続く。その行動の基準が「お金ではない」という部分。そこにエネルギーを感じます。

不況だとか、就職難だとか、あとは愚痴みたいなものを吐き出されて、個人的にはそういうのを聞いているのが嫌なので、その嫌な感情をどうすればよいか小さな悩みがありましたが、自分の価値感や絶対に譲れないことを定める事が優先されるべきことだろうと思います。

本当に好きな事だけを追求するという事を考えさせてくれました。

追記。みうらじゅんの「いやげもの」や、やついいちろうの「どりゃ読み」など、頭をかすめました。誰も価値を見出していないものに手を出す行為はいつか賞賛されると信じて、ガンガンやっていきたいです。その方が面白いから。