3/31/2012

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お茶を飲みつつ人と話すような時の気持ちと、
例えば業務的な振る舞いで効率化に励む差を考えると
前者にはその時間がその人に響くようになって、後者には未来はない気がする。

鑑賞や制作はそんなある種の絶望を変える為の調律なんだろうと思う。

私の調律は、私の調律。あなたの調律は、あなたの。
それを見せ合いっこすることが贈与でもあり、交易でもあり、生きている事を意識させるのに繋がるんじゃなかろうか。

私はどっしりと構えた古びた木のテーブルに、どっしりと座り、またなにかに思い耽るのだ。

本日、風と桜の芽吹きが春の訪れを教えてくれた。
この湿度に希望が湧いてくる。

明日は4月で、どんな嘘たらしめてやろうか、と思う一日です。

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